キティーちゃんという神さま〜それはカワイイ戦士〜

生きていると疲れる。仕事にも人間関係にも何もかもに嫌気がさして、逃げ出したくなる。そんなとき、わたしは縋るようにピューロランドのショーの映像を見ている。キティーちゃんは言う。みんな仲良く。困っている人がいたら手を差し伸べよう、思いやりの心が何よりも大事なのだよと。

キティーちゃんやサンリオとの出逢いは物心付く前から、幼少期の頃から気がつくとサンリオの物が周りにあった。しかし、幼少期から出て、成長し自我を持つようになって改めて声を大にしてキティーちゃん及びサンリオが好き、大好きだという己を強く意識したのは成人してからだったように思う。

なぜ、それほどまでにキティーちゃんに惹かれるのか?理由のひとつに挙げられるのは、キティーちゃんは強いということ。ありとあらゆる企業とコラボし、どのような姿にも果敢に挑み、変身する。それを仕事を選ばないキティーさんと揶揄されることも多いが、それはキティーちゃんという土台の揺るがなさ、存在の絶対的さがあってこそ成り立つものであるのだ。

わたしはキティーちゃんが大好きだ。代わるものがないと思えるほど。メロディちゃんやキキララちゃんも大好きだけれど、やっぱりいちばんはキティーちゃん。キティーちゃんという母なる大地に、最終的には戻ってきてしまう。キティーちゃんやサンリオの可愛さとは、その「カワイイ」の裏にあるものとは、優しさや平和や愛、メルヘンな夢を変わらず与え続けてくれるところ。わたしはサンリオが与えてくれるメルヘンな夢の世界がなければ、この殺伐とした現実を生き延びてこれなかっただろう。今までも、そしてこれからもわたしはサンリオに支えられて生きていく。

心が疲れたときに、ピューロランドのショーの映像を一人見て歌い、オンオンと泣き、ピューロランドのボートライドを思い出すと、だいたいのことは癒されて乗り越えていける。

変わり続ける時代に、心から信じられるものがわからず、すべてが不確かであやふやなものに感じてしまうとき、わたしはキティーちゃんは大事なメッセージを届け続ける、世界でたった一人のカワイイ戦士のような気がして仕方ないのである。

いつも、いちご新聞のページをめくりながら、わたしはサンリオのある日本に生まれて良かったと、お母さんありがとうと柄にもなく思うのです。

キティーちゃん、そしてサンリオ万歳!!!いつもありがとう。





コートの偉大さについて。

4月になりました。私服がダサい私は慌てふためきました。なぜなら、もうコートを脱ぐ季節がやって来たのだから。

3月と4月は季節の変わり目。しかし何が違うの?3月までが冬で、4月からは春なの?4月になるといきなりパステルカラーの服を着て薄着にしなくちゃいけない?それは世間に刷り込まれたイメージでは?アパレルの戦略では?陰気な私はぼやきます。

それでも見えない(冬と春との)境界線がそこにくっきりと存在するのは確固とした事実で認めざるを得ません。ただ、もうコートを着れない、その現実が私を恐怖させ、縮みあがらせます。

それほどまでに、コートという存在に依存しきって私は今まで生きてきました。コートを着て外出してきた約4ヶ月間ものあいだ、心身ともにコートに甘えて過ごしていたことを痛感せずにはおれません。

休みの日は、寝間着のうえにコートを着てコンビニまで駆けても、コートを着ているという安心感が、ギリギリの、まともな人として成立するラインを保てていた・・・これが寝間着だけで外に出るとどうでしょう。下着をつけていないとなると心許ないし、また、寝間着のラブリーさが、自分の趣味嗜好までをも見知らぬ人に知らしめてしまう危うさまでをも孕んでいます。なんということでしょう。とても危険です。

コートの下は適当でいい。ダサいけど、まぁコートで隠れるしね、と逃げていた自分と、いまや、ついぞ対峙せざるを得ないところまで来てしまったのです。もう逃げることはできない。それが、この春といふ季節でもあるのです。


服を買いにいこっとε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘







夢想航路とはなんぞや。

物心ついた頃から現実的なことがあまり好きではない私は(努力や根性も好きではない)頭の中の半分をつねに夢想的なことで占めさせ、大人になった今も現実逃避をする為に生きているようなところが多分に、ある。

そんな私ではあるのですが、今月から「小説家になろう」という大型の小説サイトでの執筆をはじめました。

「牡丹の間」というタイトルの物語で、少年たちの泡沫の日々を描いています。といってもまだ書き始めたばかりなので、自分でもまだどういうふうにストーリーを転ばせるか考えあぐねている最中なんです。

一応ボーイズラブになってますが、ほんとに描きたいのはそこではなくて、少年たちの成長物語というか、少年という束の間の季節を描いてみたい!と思ったのが始まりでした。

読むのは自由ですので、良かったら「牡丹の間」読んでみてくださいね。

まだ序盤しか書いてませんが、これから月イチのペースで上げていく予定です。