逃げる人生それもまたあり。

9月1日。それは10代の子供の自殺がとても多い日らしい。新学期に学校に行きたくない。彼らにとっては、死んだほうがマシというほどに、それは嫌で、苦痛で、死を選ぶほうが好ましいのだ。


学校というのは牢獄に似てる。小さな檻の中に閉じ込められ、くだらないルールを押し付けられ、クラスの中でのカーストだってある。

社会に出たら、あのときは良かったと学生時代の青春の日々が輝いてみえる、などというノー天気な大人も稀にいたりもするが、学校生活に馴染めなかったり仲間はずれやイジメの標的になっている者にとっては、そこは地獄そのものであり、一分一秒が耐えがたく逃げ出したい「死んだほうがマシな場所」であるのだ。

それならば逃げたほうが良い。この複雑化された、もはや信じられるものは自分だけというようなサバイバルな現代においては逃げるという潔さも時には必要だ。

わたしは御多分に洩れず、人からイメージされる通り、不登校がちな生徒であった(^o^)

親はわたしの顔を見ればため息をついて、なんでこの子はこんなふうに育ってしまったのか・・・と頭を抱えていたし、それに加えて、個人的に学校の教師なんてものほど信用できない生き物はいないとわたしは強く思っていた。

ただわたしは、一人で静かに本を読んだり絵を描いたりすることが好きだったし、人の評価を気にするタイプではなかったので、一匹オオカミでいることに何ら疑問を持たず、逆に、群れて生きるほうがダセーよ、群れてないと何もできねー奴に何も言われたくないね、(-.-)y-., o Oと斜に構えていきるスタンスを自分の中で採用していた為、孤立する自分、人とは違う自分を、そこまで恥ずかしいと思ってはいなかった気がする。それでも中学生の頃は、まだアルバイトが出来ないわけで、家にいるか学校に行くか、そのどちらかの選択肢しか持てない無力さを、盗んだバイクで走り出したいような衝動を日々抱え、ただ悶々としていた。(尾崎豊風に、)


今30代になってみて、10代の頃を振り返ると・・・本当に、死んだって戻りたくない、と思う。悪夢そのもののような日々。もしも目が覚めて10代に戻っていたら、、わたしは二度と生きて乗り越えられる気がしない。もう二度と御免です、という気持ち。10代なんて、罰ゲームでしかないもん。

そんなわたしが今の死にたい10代に言えることは、とにかく逃げてほしいということ。もし学校の教師や親が信じられなければ、誰でもいいから信じられる人を作っていくことが大事だと思う。そして好きなことや趣味を一つずつ増やしていくこと。自分が好きなことは、少なからず自分の心を守る盾になってくれるはずだから・・・。わたしは当時読んでいた小説家の先生や、遠くに住む文通相手(ペンフレンド)に悩みをつらつらと便箋にしたため、そして送りつけていた。自分の心が何をしているときに楽しいのか、安心するのか、それを脇目を振らずに実践し、信じられない大人の言葉は聞くふりをしながら無視し続ければいい。とにかく死ぬよりも生きることを選択するほうが偉いのだ。生きていれば今後生きていて良かったと思えることにたくさん出逢える。わたしは成人してから、ああ、あのとき死ななくて良かったと思える出来事にたくさん出逢えた。生きることは苦しいことの連続だが、それでも時々ご褒美のような「良いこと」が起きる。それが人生だ。

真っ直ぐでなくていい、性格悪くて上等、100点満点o(^o^)o

自分だけは自分のいちばんの味方でいてほしいし、生きることを選択してほしい、と切に願う。

そしてこれは30代のおばさんの独り言である。