キティーちゃんという神さま〜それはカワイイ戦士〜

生きていると疲れる。仕事にも人間関係にも何もかもに嫌気がさして、逃げ出したくなる。そんなとき、わたしは縋るようにピューロランドのショーの映像を見ている。キティーちゃんは言う。みんな仲良く。困っている人がいたら手を差し伸べよう、思いやりの心が何よりも大事なのだよと。

キティーちゃんやサンリオとの出逢いは物心付く前から、幼少期の頃から気がつくとサンリオの物が周りにあった。しかし、幼少期から出て、成長し自我を持つようになって改めて声を大にしてキティーちゃん及びサンリオが好き、大好きだという己を強く意識したのは成人してからだったように思う。

なぜ、それほどまでにキティーちゃんに惹かれるのか?理由のひとつに挙げられるのは、キティーちゃんは強いということ。ありとあらゆる企業とコラボし、どのような姿にも果敢に挑み、変身する。それを仕事を選ばないキティーさんと揶揄されることも多いが、それはキティーちゃんという土台の揺るがなさ、存在の絶対的さがあってこそ成り立つものであるのだ。

わたしはキティーちゃんが大好きだ。代わるものがないと思えるほど。メロディちゃんやキキララちゃんも大好きだけれど、やっぱりいちばんはキティーちゃん。キティーちゃんという母なる大地に、最終的には戻ってきてしまう。キティーちゃんやサンリオの可愛さとは、その「カワイイ」の裏にあるものとは、優しさや平和や愛、メルヘンな夢を変わらず与え続けてくれるところ。わたしはサンリオが与えてくれるメルヘンな夢の世界がなければ、この殺伐とした現実を生き延びてこれなかっただろう。今までも、そしてこれからもわたしはサンリオに支えられて生きていく。

心が疲れたときに、ピューロランドのショーの映像を一人見て歌い、オンオンと泣き、ピューロランドのボートライドを思い出すと、だいたいのことは癒されて乗り越えていける。

変わり続ける時代に、心から信じられるものがわからず、すべてが不確かであやふやなものに感じてしまうとき、わたしはキティーちゃんは大事なメッセージを届け続ける、世界でたった一人のカワイイ戦士のような気がして仕方ないのである。

いつも、いちご新聞のページをめくりながら、わたしはサンリオのある日本に生まれて良かったと、お母さんありがとうと柄にもなく思うのです。

キティーちゃん、そしてサンリオ万歳!!!いつもありがとう。