コートの偉大さについて。

4月になりました。私服がダサい私は慌てふためきました。なぜなら、もうコートを脱ぐ季節がやって来たのだから。

3月と4月は季節の変わり目。しかし何が違うの?3月までが冬で、4月からは春なの?4月になるといきなりパステルカラーの服を着て薄着にしなくちゃいけない?それは世間に刷り込まれたイメージでは?アパレルの戦略では?陰気な私はぼやきます。

それでも見えない(冬と春との)境界線がそこにくっきりと存在するのは確固とした事実で認めざるを得ません。ただ、もうコートを着れない、その現実が私を恐怖させ、縮みあがらせます。

それほどまでに、コートという存在に依存しきって私は今まで生きてきました。コートを着て外出してきた約4ヶ月間ものあいだ、心身ともにコートに甘えて過ごしていたことを痛感せずにはおれません。

休みの日は、寝間着のうえにコートを着てコンビニまで駆けても、コートを着ているという安心感が、ギリギリの、まともな人として成立するラインを保てていた・・・これが寝間着だけで外に出るとどうでしょう。下着をつけていないとなると心許ないし、また、寝間着のラブリーさが、自分の趣味嗜好までをも見知らぬ人に知らしめてしまう危うさまでをも孕んでいます。なんということでしょう。とても危険です。

コートの下は適当でいい。ダサいけど、まぁコートで隠れるしね、と逃げていた自分と、いまや、ついぞ対峙せざるを得ないところまで来てしまったのです。もう逃げることはできない。それが、この春といふ季節でもあるのです。


服を買いにいこっとε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘