続き。

今年の4月から小説家になろうで連載してる牡丹の間を二ヶ月ぶりに続きをアップしました。

自分がこういうの読みたいんだよな〜〜っていうものを自分で書いていこうと思っていて、なので自分で面白く思えないことには始まらなくて、結局何度も書き直したりしてます。

執筆がすごくゆっくりのペースですが、読んでもらえると嬉しく思います。(ボーイズラブ注意です・・・) (^∇^)



   




逃げる人生それもまたあり。

9月1日。それは10代の子供の自殺がとても多い日らしい。新学期に学校に行きたくない。彼らにとっては、死んだほうがマシというほどに、それは嫌で、苦痛で、死を選ぶほうが好ましいのだ。


学校というのは牢獄に似てる。小さな檻の中に閉じ込められ、くだらないルールを押し付けられ、クラスの中でのカーストだってある。

社会に出たら、あのときは良かったと学生時代の青春の日々が輝いてみえる、などというノー天気な大人も稀にいたりもするが、学校生活に馴染めなかったり仲間はずれやイジメの標的になっている者にとっては、そこは地獄そのものであり、一分一秒が耐えがたく逃げ出したい「死んだほうがマシな場所」であるのだ。

それならば逃げたほうが良い。この複雑化された、もはや信じられるものは自分だけというようなサバイバルな現代においては逃げるという潔さも時には必要だ。

わたしは御多分に洩れず、人からイメージされる通り、不登校がちな生徒であった(^o^)

親はわたしの顔を見ればため息をついて、なんでこの子はこんなふうに育ってしまったのか・・・と頭を抱えていたし、それに加えて、個人的に学校の教師なんてものほど信用できない生き物はいないとわたしは強く思っていた。

ただわたしは、一人で静かに本を読んだり絵を描いたりすることが好きだったし、人の評価を気にするタイプではなかったので、一匹オオカミでいることに何ら疑問を持たず、逆に、群れて生きるほうがダセーよ、群れてないと何もできねー奴に何も言われたくないね、(-.-)y-., o Oと斜に構えていきるスタンスを自分の中で採用していた為、孤立する自分、人とは違う自分を、そこまで恥ずかしいと思ってはいなかった気がする。それでも中学生の頃は、まだアルバイトが出来ないわけで、家にいるか学校に行くか、そのどちらかの選択肢しか持てない無力さを、盗んだバイクで走り出したいような衝動を日々抱え、ただ悶々としていた。(尾崎豊風に、)


今30代になってみて、10代の頃を振り返ると・・・本当に、死んだって戻りたくない、と思う。悪夢そのもののような日々。もしも目が覚めて10代に戻っていたら、、わたしは二度と生きて乗り越えられる気がしない。もう二度と御免です、という気持ち。10代なんて、罰ゲームでしかないもん。

そんなわたしが今の死にたい10代に言えることは、とにかく逃げてほしいということ。もし学校の教師や親が信じられなければ、誰でもいいから信じられる人を作っていくことが大事だと思う。そして好きなことや趣味を一つずつ増やしていくこと。自分が好きなことは、少なからず自分の心を守る盾になってくれるはずだから・・・。わたしは当時読んでいた小説家の先生や、遠くに住む文通相手(ペンフレンド)に悩みをつらつらと便箋にしたため、そして送りつけていた。自分の心が何をしているときに楽しいのか、安心するのか、それを脇目を振らずに実践し、信じられない大人の言葉は聞くふりをしながら無視し続ければいい。とにかく死ぬよりも生きることを選択するほうが偉いのだ。生きていれば今後生きていて良かったと思えることにたくさん出逢える。わたしは成人してから、ああ、あのとき死ななくて良かったと思える出来事にたくさん出逢えた。生きることは苦しいことの連続だが、それでも時々ご褒美のような「良いこと」が起きる。それが人生だ。

真っ直ぐでなくていい、性格悪くて上等、100点満点o(^o^)o

自分だけは自分のいちばんの味方でいてほしいし、生きることを選択してほしい、と切に願う。

そしてこれは30代のおばさんの独り言である。







疲れると、どんどん性格が悪くなる。

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画像は昔、田園調布にあった今は亡きサンリオのいちごのおうち🍓です。

昔のものって、なんでも今見ると癒される。昔、岡山にあったチェリーミミちゃん🐰🍒の王子ファンシーランドも子供の頃に連れて行ってもらった記憶がほんのりあるくらいだけど、それでもその記憶の中の王子ファンシーランドは可愛くて夢があって、女の子向けの世界感で、ときどき思い出してはうっとりと浸ってしまう。昔の記憶は穢されないし、自分の心の中で永遠に生きてて、何度思い返してもいい自分だけのものだから信じられる。

わたしは疲れると、どんどん性格が悪くなる。正確にいえば、もともと歪んでいて、性格に難がありすぎるのが隠しきれなくて、いたるところから溢れ出してくるかんじ。

自分の時間が取れずに、仕事から帰って来てお風呂に入って寝て仕事行って・・・の繰り返しの忙しない日々が3日くらい続くと心に余裕がなくなり、色んなことが嫌になってくる。。。

なんて大人気ない大人なんでしょう٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

それでも休みの日に夕方まで寝て過ごし、夜になって慌てて溜まった洗濯をし、そしてまた次の日がやって来る・・・という悪循環を懲りずに繰り返すタイプなので、自己嫌悪を感じそうになるけど、自己嫌悪を感じたらますます自分がみじめになってしまう気がするし、なるべく自己嫌悪を感じないよう嫌なことがあると常に人のせいや時代のせいや世の中のせいにして生きようと努めています。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

個人的に夜中の0時過ぎてから朝の6時までって早過ぎる気がする。昼間の時間って進むのぜったい遅いよね。

神さまのいじわる٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

野ばらちゃん〜それは最高位に君臨する乙女の救世主その1〜

野ばらちゃん。

作家の嶽本野ばら先生のことをそう呼び始めてどれくらいの時が経つのでしょうか。

野ばらちゃんとの出会いは、わたしが当時中学生の頃、友達の部屋でたまたまめくったティーン向けの雑誌に野ばらちゃんがコラムを連載していたのがきっかけでした。わたしが産まれてから今まで出会ったこともないような独自性の塊のような世界観のある文体に引き込まれ、ビリビリとした衝撃を受けたこと、今も鮮やかに思い起こせるほどです。

それから時が過ぎ、野ばらちゃんは「それいぬ」というエッセイや「世界の終わりという名の雑貨店」という小説を世に放ち、待ち望んでいたわたしは何度も何度も本がボロボロになるくらいに貪り読んだのでした。野ばらちゃんの小説に出てくる人たちは、皆不器用で、どこか生き辛さを抱えており、それでも懸命に自分の大切なものや自分の領域を守るため、無神経で繊細さに欠ける現実の世界と格闘するのでした。野ばらちゃんの本に出てくる登場人物の佇まいが、そこから発せられるメッセージが、死にたくて仕方のない10代のわたしをどんなにか共鳴させ、そして手を取っては何度も立ち上がらせるのでした。

そんな自分の救世主のような神のような存在である野ばらちゃんを目の前で初めて見、そして触れ、お話ししたのは、高校生になって「下妻物語」が発売になってからのことでした。地元の本屋さんに野ばらちゃんが来る!と、友だちと飛び上がって喜び、指折り数えてはその日を楽しみに待ち焦がれていました。

当日、わたし達の目の前に現れた野ばらちゃんは、ヴィヴィアンのロッキンフォースを履いた折れそうに細い脚に、BABYのヘッドドレスを顎ではなく頭の後ろでリボンを結び、まさに乙女のカリスマ此処に参上!といった風情で、こんな男性がこの世にいるなんて・・・!といった非現実の塊のような、にわかには其処にいることが信じられないような、、そんな想いを、二人といない存在感を醸し出している野ばらちゃんに対して抱いたのでした。

自分の番が訪れ、徹夜で書いた手紙を渡すわたしに乙女のカリスマはとても優しく、友だちのような親しみやすい振る舞いで、本にサインをしてくれ、握手をしてくれ、頰をくっつけて写真まで撮ってくれたのでした。

ー野ばらちゃん、という呼び方は、作家先生に対して冷静に考えると、とても失礼、いや、自分のどこかでは、跪いて野ばら先生と呼ぶのが相応しい、そう声がするものの、本人を前にすると、やっぱり野ばらちゃん、という呼び方になってしまう。野ばらちゃん以外正しい呼び方などありはしない。と、居直ってしまうのです。それはなぜか?それはやはり、野ばらちゃんは野ばらちゃんという乙女のリーダー、乙女の主犯格、乙女の大統領、乙女の・・・といった具合に、やっぱり乙女のカリスマだからなのです(開き直る。)

そんな乙女のカリスマ野ばらちゃんもこの近年は実生活で色んなことがあり、そんな中で去年の秋に「落花生」というエッセイを世に出しました。

その際に行われたサイン会では、野ばらちゃんの姿を見て涙がこぼれそうになりながら、野ばらちゃんがこうして生きていてくれて、本当に良かったと、心から神さまに感謝したのでした。

シュガーマーガリンのパン。

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普段は滅多に食べることのないお砂糖がたっぷりのったパンをコンビニで目にして、いつの間にか手に取りレジへと向かっていた。

こういうのは、ある日突然、いつもとは違う道を通って帰りたくなるような感覚に似てる。

甘い甘いお砂糖のパン。久しぶりに食べると、懐かしくて美味しい(๑>◡<๑)

現実逃避する為に生きてる。

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ときどき、すごく生きづらい。なんでこんなに苦しいのに、生きているのか、生きているのだろう、と思い考え込む。

たぶん普通の人よりも(普通の人なんていう概念は本当は幻想なのだろうけど、、)わたしは少し不器用で大人になりきれない部分が大半を占め、実生活に即していない為だと思うが、それでも自分の妄想力や想像力は誰にも譲れないと思うほど卓越していると自負しているので、(自慢できるものではないが、)多少生きづらくても、最終的には、あぁわたしに生まれて良かった〜〜なんていう想いに終着するのである。

自分のことが嫌いかと問われれば、そういうわけでなく、今の世の中で生きづらさを感じる自分に悪戦苦闘しながらも、それでもあの手この手を使ってなんとか生き続ける自分を気に入っていたりする。

夏は暑くてほんとうにほんとうに苦手だ。でも、イメージの中にある夏は好き。矛盾している。わたしのイメージの中にいつもある夏は、たとえば子供の頃にクーラーの効いた涼しい部屋で食べたアイスクリームや、夏の昼下がりに図書館で読んでいた本だったり、主人公が可愛いワンピースを着てはしゃいでる少女漫画の中に見る夏の風景はどれも好きで、そういった、かつての自分が享受していた平和な時間に集約されるものであり、夏になるとそういったキラキラした懐かしいイメージばかりが頭の中を占め切なくなってしまう。

そういうのもあり、夏の終わりはいつもセンチメンタルな気分になったりもする。

パリピとは程遠いところで生きるわたしは、夏ほど人のいないところでひっそりと生きていたいので、願いが叶うなら、少女漫画に出てくるお金持ちキャラが夏休みにみんなを別荘に招待したりしてたように、わたしの場合は友達が少ないので、誰も招待しなくとも別荘を持って一人でこもっていたい笑

暑い( ˙-˙ )

暑くて暑くて、炭酸のドリンクとアイスとクーラーの効いた部屋がないと生きられない!

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7月3日、今日はソフトクリームの日だそう。

偶然にも今さっきスーパーで「うずまきソフト」を買ってきたところ🍦

去年から、うずまきソフトにハマってて、数え切れぬくらい食べてる(๑>◡<๑)

うずまきソフトはチョコバニラが大好き♬いくらでも食べれる🍦🍦🍦